始まりを告げたのは確かに、自分の方だった。
「俺もなるべく家にいるが、陛下から直々に重職を拝命している以上そう毎日休むわけにはいかん。
だから、俺がいない間そばにいてくれる……そうだな、家政婦のような者を雇おうと思うんだが」
そう切り出したヴィクトールに、アンジェリークは首を傾げて応えた。
「家政婦?」
「そうだ。だが何も家事をする必要はない、要はおまえの話し相手になれればいいんだ。
おまえは大切な身体なんだからな」
最後の言葉に、アンジェリークが赤くなってうつむく。ヴィクトールは愛しそうにその肩を抱き、額にキスをした。
少女に人をつけることを考えたのは、実は初めてではない。
懐妊している妻にとって、自分がいない時間がどれだけ不安なのか。彼にはそれが気がかりでならなかった。
今までは、当のアンジェリークがひと一倍内気で人見知りをするため下手な人間をつけられず、女王の厚意に甘える形で休み続けてきた。
しかしすでに4カ月目に入って悪阻もだいぶおさまり、普段の生活が何とか送れるようになってきたため、彼は彼女に一応のかたちで訊ねてみたのだ。
だが。
「候補時代に親しくしていた者とか寮のメイドとか、話しやすくて信頼できる人間はいないか?」
そう聞いてみたとき、
「話しやすくて信頼できる……?あ、そうだ!」
「いるのか?」
さも名案そうに意気込んだ少女が、
「キールさん」
……などと答えることを、彼は予想だにしていなかった。
◇ ◇ ◇
「……………………キール?」
幾ばくかの沈黙の後、ヴィクトールはひきつった笑顔を浮かべて繰り返した。
「うんっ!女王候補だったとき、弱気になってる私を励ましてくれたの。
優しい言葉をかけてくれて、私、すごく嬉しかった」
極上の表情でそう言い、アンジェリークはくすくすと思い出し笑いをした。
「私が落ち込んでると、お花畑に連れていってくれて……お花を摘んでくれて。
今は一度しかないんだから、勇気を出して言わないと後悔するって」
「?なにを」
聞き返した彼に、少女はまた笑って首を振った。
「んーん、なんでもない。ね、キールさんじゃダメ?
ヴィクトールさまとお仕事の帰りにいらっしゃるけど、お忙しくてあんまりお話しできないし。それに、絶対に信頼できる人でしょ?」
確かにキールなら、全く知らない寮のメイドなどよりよっぽど気はおけるが、そういう信頼とはこれは別問題である。
アンジェリークは、彼…いや彼らふたりの気持ちに気付いてはいない。
それが本心からの願いだからこそ、なおさら釈然としないものが残るヴィクトールだった。
「いや、それはそうだがしかし、……そうだ!あいつは俺の補佐役だからな、行動を共にしてもらわないと困るんだ。
他の者はいないのか?」
本当なら真っ先に思いつくはずの理由を言い訳がましく口にして、彼は少女に次をせまった。
「他、に?……レイチェルは新宇宙の研究団に入っちゃったし、他には……」
意気揚々としていた顔をいきなり曇らせ、アンジェリークは口ごもる。
ヴィクトールは、黙り込んだ彼女を見て一瞬眉根をよせ、ため息をつくと、額に手を当てながら呟いた。
「……わかった。仕事の方はなんとかするから、キールに話してみよう。
奴が承知すればそれでいい、……だからそんな泣きそうな顔をするな」
自分が庇護する少女にどうしても甘くなるのはいつものことである。
ぱちぱちと目を瞬かせて見上げる視線に、ヴィクトールは穏やかな笑顔を向けた。
もっとも、内心は外見ほど穏やかなわけではなかったが。 |